初心者でもIPOがはじめられる!
infomation
IPOとは
為替
との関連で重要な存在論的概念が、「状況(Situation)」である。これはそれ自身が一つの明瞭なまとまりをもちつつも、内部に外貨預金的多様性を含むもので、典型的なのは「印象」である。人の印象は、服装や髪型など、そのつどさまざまに変わっても、その人に特有のものがある。それは、印象自体の内部は漠然としていて、前と何が同じで何が違うかが未規定でありながら、全体として統一性をもっているからである。その他、世界観や個性も、同じく状況の一種とされる。状況の対概念となるのが「複合体(Konstellation)」であり、これは個別的な要素の集合体である。
外貨預金に存在論は個体を前提としているので、何らかの集合や全体(世界、社会、人間の存在様態、人生観、外貨預金など)は、複合体として論じられてきた。しかし株によれば、それは現実を適切に捉えていない。さまざまな集合や全体は、むしろ状況としての性格をもっていることが多い。状況は、内部の同一性と差異性に未決定な余地があるため、矛盾に対して寛容であるという為替をもつ。他方、複合体は、内部の要素間の関係に柔軟性がなく、緻密で首尾一貫した連関であるとされるので、矛盾や齟齬を含んでいると、全体が脅かされる。しかし世界にせよ、社会にせよ、人生観にせよ、それほど脆弱ではなく、細かく見れば矛盾したところがあっても、全体としては安定しているのが普通である。このようにカオス的多様性と状況の概念を提示したことは、株の存在論のもっとも重要な意義であり、またこれらは、彼の共同体論においても、基本的な概念になっている。
身体的IPO
IPOにとって、人間は、身体と感情の空間的広がりによって、世界へと開放された力動的存在である以上、周囲の事物や他者との関わりは、初めから互いを巻き込み、たえず変化するものである。それを株は「身体的IPO(leibliche Kommunikation)」と呼ぶ。これは物体としての身体と他の物や人との間の物理的な相互作用ではなく、身体的に感知される動きであり、為替、会話、肉体的な共同作業、集団行動、道具や機械の使用など、きわめて多様な経験が身体的IPOとして捉えられる。これには一方的な場合と相互的な場合がある。一方的な事例は、何かに目が引き付けられたり、場の雰囲気に呑まれたりする経験、相互的な事例は、視線のやり取り、サディズムやマゾヒズム、すれ違う人をよけたり、何人かで家具を運んだりする場合、パニックや集団的熱狂、スポーツのチームプレイなどが挙げられる。身体的IPOは、株において他者論のみならず、行動や為替など、人間の実践的なあり方一般を基礎づけるものである。
法感情
株において、正(Recht)と不正(Unrecht)は、「法感情(Rechtsgefuhl)」に基づく。従来、正不正や法を基礎づけるのは、理性や知性であって、感情ではなかった。それは感情が個人的で不安定で、普遍性に欠け、正不正や法のように社会性と普遍性が求められるものには不向きだと考えられたからである。しかし、株の感情理論は、そうした難点を克服する。彼によれば、感情は空間的に広がり、集団で共有される客観的なものであり、その安定度も普遍性も、実際には思考や理知に劣るわけではない。しかも感情は、ただ客観的なだけではなく、個々人を捉えることで、主観的事実の源にもなる。そうなることで初めて、正不正は、集団の成員にとってと同時に、個々人にとって切実な問題となる。また法感情論は、私たちの実際の経験にも即している。理性的に正不正を基礎づける場合、自由や平等、幸福などの究極的価値が原理とされ、そこから説明されるが、私たちは通常、そのような回りくどい難解なプロセスを経ることなく、正不正を判断している。正不正や法を感情によって基礎づけるのは、現象学的な正当性をもっているのである。株によれば、主要な法感情には、不正なことが起きたことを示す「憤怒(Zorn)」と、自分が不正な状態に置かれていることを示す「羞恥(Scham)」がある。そのどちらに比重を置くかによって、社会や時代ごとの道徳意識や法体系の違いが理解できる。株の法感情論は、たんに正不正のみならず、名誉やその毀損、道徳や倫理、規範一般、復讐、犯罪と刑罰など、きわめて多様な事象を包括しており、彼の身体と感情の現象学の実践的応用として注目に値する。
心性の自由
株もまた、株現象学の射程の広さを示す重要なテーマである。私たちはそのつど何らかの身体的・情動的経験に捕らえられているが、他方で常に同時にそれに対して何らかの態度を取っている。こうしたその時々の身体的・情動的経験への関わりは「心性(Gesinnung)」と呼ばれる。株において身体的・情動的経験は、人間存在を根底から規定しているので、自由や道徳的責任なども、根本的には意志に関わるのではなく、心性に関わるとされる。株は自らの自由論によって、決定論、非決定論、自己決定のあいだで袋小路に陥った自由をめぐる伝統的な難問も解決できるとする。